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日本文化の側面、毒気に染まらぬ人

2018年10月8日「月曜日」更新の日記

2018-10-08の日記のIMAGE
美徳は、時として致命的な欠陥となる。日本人は自分の国の長所を余り考えないし、ましてや欠点など見抜こうともしない。しかし、いつの間にかグローバル化の時代。海外に行き外国文化の中に浸れば、いやでも自国の美点と欠点が見えてくる。その時、ああこうなんだと解るわけであるが、解るだけではもう遅い。どうしたらいいか、どう弁明したらいいか解らないし、どう主張したらいいかも解らない。まして、相手の人を説得することなど、何も知らないのだから、出来ない。しかして、“何も解ってないんだな、この東洋人は”で片付けられてしまう。何しろ、文化的リーダーたるへっぴり腰の有名人達は、外国の地で研譛していないし、事前に文化の相違を一般人に教えていないのだから、旅行者こそ良い被害者である。えっ、外務省の役人……あんな種族は何の役にも立ちませんぞ。さて、すばらしいと思った文化精神に、落し穴がある。日本人の美徳といわれる“遠慮深い慎み”。これは相手から見たら、傲慢に見えたり、優柔不断にとられたりする。無理矢理に自然を理解する心-例えば、俳句とか以心伝心とか。これは情緒的すぎて、不合理な判断をする人間を育てるI残念ながら、俳句の妄想は、人間を曖昧にし、国際社会で孤立する。その点、日本人でありながら日本文化を深く理解する邱先生は、一味も二味も違う。日常的に、考えも振舞いも違うのである。先日旅行中に路を歩いていたら、盲人が杖をついて近づいてきた。目前に小さな穴があり、危ない。5人いた同行者の日本人は、気がついて、言いたいけどもじもじしている。すると、後から来た先生が一声かけた。「危ないですよ。前に小さな穴があいてるから、注意してね」と。盲人は、一言お礼を言った。こんな例でも解るが、日本人は正しいことを仲々言えないし行動することも出来ないのである。まして、他人に対し正確に話を伝えたり、客観的判断をするのが苦手である。女性の言う事を軽視しているくせに、理もなく異性の意見に左右されたりする。異人種の言うことを批判せず鵜呑みにしたり、話も聞かずに拒否したりする。質素、素朴、純粋を大事にするが、経済界では欠点となる。その点、先生は外国生れの台湾文化育ち。日本の文化の毒の部分には、影響されていない。金持ち心得も、明るく積極的なもの。多人種の中で育ったので、色々の考えがあることを知っており、対応も千差万別。見ていると、わくわくする程面白い生き方をしている。日本文化の真髄を知っていると共に、外部から側面も見ておられる。それほど卓越した人を研究しないでおられようか。私にとって、生きた鏡である。

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