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不思議な横顔

2018年10月7日「日曜日」更新の日記

2018-10-07の日記のIMAGE
巨星は大きな光りを出すが、大きくなればなる程、その影も大きい。食事や旅行で同行している問、先生の表情にかい問見た不思議な点について、幾つか記してみたいと思う。まず、講義に限らず円卓を囲んで食事をしている時でも、優しく微笑むというか、二コニコしておられるということ。難しい問題を話し合っている時も、比較的気の合わない人が隣席に座った時でも、いつも微笑しておられる。不思議である。そのせいで、心が柔らいでいるのか、先生がかしこまって堅く構えているのを見たことがない。私か勝手に想像するに、中国式に血の流れをスムーズにしているのか、あるいは亡き母上よりいつも笑っている方が得だと教育されたのか、それとも、笑う門には福来たると信じておられるのか、考えてみれば不思議なことである。次に、まわりに退屈な人がいたり嫌いな人がいたりすると、うつろな眼でぼんやり前方をながめて、じっと動かないこと。何を考えておられるのか、と気になる横顔である。かつてミャンマーに旅をし、同行させていただいた時、この国が他国に遅れた発展途上国と解っているのに、あえて鋭い口調で、「だから、遅れてどうしようもない国なのです。男はすべて若くして仏門に入るし、経済を発展させる意欲もない。仏教を信じるのは良いけど、国の力が結集しない社会だね」と吐いて捨てるように言われた。ミャンマー人は信心深いし、女もこまめに働くので私は好感を持っていたが、先生の眼で見れば、素朴なだけで怠惰に映ったにちがいない。実践家だが、反面思慮深く用心もする。そして賑やかな人が隣りに座ると、先生も大いに盛り上がる。文士は静かで思慮深いものだが、先生はとても賑やかなのである。日本生れの文士なら、まず黙考。一言しゃべってまた黙考。陰気な眼で孤独な顔をする。そして、気が乗ると、突然ペラペラしゃべり出す。気分散漫で非常識の固まりのような人が多いが、先生は全くその逆。これほど付き合い易く、楽しい人もいない。賑やかで良く遊ぶ台湾人の、陽気な習慣が身についたのかも知れない。先生は、起きてる限り、いつも川の流れの中に立つ。いつも水は変化を運んでくる。事業の経過を見たり、人の相談を受けたり、講演をしたり、勉強したり。あい間に本を読み、原稿も書く。その他いろいろ。どうして、こんなに苦労し、時を乗り越えようとしているのか。先生は時計の針のように、一刻も休まず動く。横顔は、まるで伝道師のように見える。

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