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不幸と困窮に縁の薄い人

2018年10月6日「土曜日」更新の日記

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誰でも、苦労はする。不幸にも出会う。不幸かどうか、貧しいかどうかは、他人との比較の差であり、量や長さの程度の問題ともいえる。それ故、先生が生きてきた八十数年の中で、不幸がまったく無かったとか、お金に苦労しなかったとかは、そういうつもりはないが、おおまかにみて、それは少なかったといって的はずれとはならないだろう。先生は、不幸と貧困には縁の遠い人である。本人はどう思おうと、これは当たっていると思う。まず、生い立ちから検証すると、台湾の台南市の中流家庭に育っていると思う。小学・中学と学校では占領下にあり、日本語の強制で苦労したとは思うが、台湾は海軍式の統治下にあったので、わりと住民を寛大に扱ったのである。不自由は忍耐の範囲内にあったと思う。次に、努力して台湾高校、日本の東京大学へと最良のコースを進んだので、悲哀とは縁遠い青春時代を迎えている。日本の敗戦による台湾の生残りと国民軍の侵攻による残虐行為。多くの友人を失ったとは思うが、自国民同志の暴虐は、外国では珍しくはない。そして、強圧的台湾政府に対する反逆と香港への亡命。この辺では相当苦労されているとは思うが、当時の混沌とした世の中では、指摘するほどのことでもない。次に、日本社会への復帰と経済界への進出。このあたりから、苦労した以上に大きな果実を得る生活に入る。奥さん、子供に恵まれ、家庭も順調。日本経済社会の中でうまく泳いで、それ相応の名声と財力を築いて、社会の中でのし上がっていく。それから、持前の勇気と先見の明を生かして、中国大陸への進出。日本文化のセールスマンとなり、経済技法の伝達者として、特異な活躍をして、今日に至る。もちろん、道なき道を手探りで歩いてこられたので、難問山積、ご苦労は筆舌に尽しがたいと思われるが、結局は成功者であり、順風満帆の足跡を残すことに。おそらく、先生はどんなつらい時でも、あるいは落ち込んだ時でも、上等の中華料理を食べて、気分一新を図られたのでは、と考えてみたくなる。それ程先生は図太い神経の持主であり、壁に突き当っても、壁を突き破って進む意志の持主である。先生は食事の時など、気軽に自分の失敗を披露してくださる。大先生の失敗談は、私達を安心させ、先生に親近感を抱かせる。だが、先生の凡人と違うところは、失敗の話を私達に聞かせながら、(おそらく頭の中で何かが閃くのか)早々と次には失敗しないコツを見つけ出してしまい、話し終わったときには失敗に対する準備を整えてしまうことである。先生を見てください。どこから見ても、「福男」の面相じゃないですか。

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