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弟子に自由に学ばせる人

2018年10月3日「水曜日」更新の日記

2018-10-03の日記のIMAGE
たいていの師という者は、自分の信条を述べ、行動の規範を作り、頂点に立って一糸乱れず弟子達を統率するものである。解り易く言えば、たとえ経済界の師であろうと、組織は軍隊のようなものであり、思想は宗教の如く一色に染まるものである。その方が大きな群れを統率するには便利であり、うまくいく。従って、次の順序としては、高弟を2~3人作れば、師としては楽であり、後世にまで教えは伝えられる。私の見る限り、邱先生はまったくその逆の人であり、弟子である取りまきに何も要求したこともなければ、何も注文したこともない。きわめて自由闊達の人であり、率直に接してくれる。それどころか、余りに先生の教え方が自由で自然なので、うっかりすると大事なことを教わっているのに、つい見逃してしまうこともある。と文章で表現しても抽象的で解りにくいので、具体例をあげて説明してみよう。先生は経済の師であるが、ただの経済の実践を追求している人ではなく、必ず側面に人間性や文化面の色を配しておられる。たとえ“お金儲け”と言っても、それは人問育成であったり、文化の交流であったりして、社会に与える影響は大きい。例えば、私達が参加する中国の企業と都市を歴訪する考察団旅行。必ず北京のご自分の建築したビルの地下で、中国古来の伝統ある家具の収集品を見せてくれる。「この家具や調度品は、いま北京はビルラッシュで、政府がどんどん古い家並みを壊して、新しいビルを建てているでしょ。その時、昔の家具は使えない!捨てるのに金もかかるんです。私は、そこに目をつけてね。トラックを向けてただでもらってきたものが、ここに並んでいる種字林の家具なんですよ。皆さん、よく見てね。気に入ったものがあったら、買ってもいいですよ。別に、私は押し売りは、しませんけどね。だって、売れないからって、放っておいても、先々骨董品として、値が上るだけですから、皆さんが買わない方が、私は儲かるともいえるのですよ」と言って、先生は二コニコしておられる。会員達を見てみると、皆んな気乗り薄で、物を見ているだけだが、私は違う。一生懸命に見てまわり、必ず記念に買うようにしている。先生が集めた物。先生と旅行して買った物。思い出が詰まり、記憶が刻まれ、一生かけて、先生を想う宝物。これ以上の記念品があろうか。買って買って、買いまくってもいいぐらいである。後悔先に立たず。20年後に騒いでも、その時には邱先生はいません。

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