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母親のような人

2018年10月2日「火曜日」更新の日記

2018-10-02の日記のIMAGE
今の邱先生を見て思うことは、厳しい父親というより、“優しい母親”という感じである。ただし、ただの母親ではない。良い意味での、利口な母という意味であり、偉大な男性がある境地に達した時に、後光の如く照らす光のようなものである。決して、息子べったりの優しいばかりの愚鈍な母親ということではないので、誤解を招かないようにしていただきたい。誤解を招く危険をおそれるなら、むしろ。峻しい父親”と表現すれば簡単なのだが、それにしては余りに気遣いが細やかで、弟子に対する態度が甘いので、母親という表現をしてみただけなのである。何故なら、一流の人は例え優しくしても、男は厳しい優しさを持つものだが、先生は私達に対しては、厳しい優しさを見せたことがない。例えば、勉強会に年に数回出席している常連の会員が、困って先生に前ぶれなしに相談したとする。先生は、突然であろうと、誰からの質問であろうと、どんな問いであろうと、即座に、当意即妙に、しかもアフターフォローしながら答える。「先生、私はやっとラーメン店舗を5店経営できるようになりましたが、少し離れた所に良い立地ですけど、6店目を出さないかと誘われています。どうしたらよいでしょうか。頑張ればやれないことは、ないですけど」「ラーメン店舗ね。増やせば儲かる、というものではないね。断念した方が良いですね」「解りました。今の5店舗でも、大変なんですよ、実は」「波があるからね。店舗を増やすより、今のままで売上げをあげたらどうですか」「はい、解りました。私の業界は粗利は高いけど、人件費も結構食いますからね」-これで、おしまいである。先生は相談相手から個別の事情を聞く前に、業界の事情や問題点に精通しておられる。そこで、一般論を優先し、相手の事情に照し合わせれば、すっきりした結論が見え、即答できることになるのである。若い時の先生が厳しかったかどうか、私は知らない。私か食事会や考察団の旅行で先生と親しくするようになって、まだ3年。先生は厳しい父親というより、優しい母親という感じであり、いつも二コニコしておられる。人に甘えるのが嫌いな私は、かえってその方が、先生の懐に入りにくくて困っているが、私の性格だからどうしようもない。先生の慈悲深い横顔をそっと見ながら、真剣に耳を傾けるだけである。

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