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高い教養高い誇り高い稼ぎ

2018年10月1日「月曜日」更新の日記

2018-10-01の日記のIMAGE
その人を知るには、その人のルーツを調べ、育った環境と学歴を調べる必要がある。その上でその人の言動と行動を精査し、あらゆる角度から光線を放って中身を調べ、総合的に判断しながら、的確な推論を導き出す。師は日本人を母に持ち、台湾人の父のもとで、台湾で育った。ということは、純粋培養の日本人ではないし、純粋培養の中国人でもない。良くいえば生れなからにして国際人だといえるが、当時の日本軍占領下という状況を考えれば、日本人でありながら、日本人でないという特殊な状況であり、その中で青年期を迎えたことは、当然心の屈折があるはずである。普通は、ニヒルで反抗的で孤独な青年となる。かといってよく考えてみれば解ることだが、反日的は得策でないし、反中華もよくはない。それでは師はどうされたのかというと、そんな雑多なことは飛び越えて、ウルトラCの生き方をとってしまったようである。ここの所が、頭の良さと読みの深さである。どういう態度に出たかといえば、ある而で「純日本人」となりきり、文化の深い面では「純中国人」となってしまったのである。しかも破顔一笑、“ルーツは宝だし、私は両方の良い面をもらった”、と意気揚々である。師は負けず嫌いである。育った環境から考えて、仏教や道教に精通していても、曖昧なおおらかさはない。トゲのある質問をしてみると、一言でピシャリと反撃してくる。育った土地が、台南市の商店街ということもあり、生地は他家に渡っているが、整然と区画された片苦しい街の中である。山と河の茫漠とした田舎に育ったわけではないので、心の奥の曖昧さはない。きちんとしすぎて、曖昧さがないというか、余裕がない。学歴は申し分ない。難関を幾つも乗り越えての東大卒なので、エリートではあるが、屈折した日本の社会状勢は師を窮地に追いやり、試練は師を本物の玉に磨き上げた。もの知りだけでなく、考えることを要求し、行動することを要求したのである。不偶は反骨を生み、反骨は強固な信念を生んだ。終りのない挑戦や前人未踏の文化に挑むのも、根本は若き日の不遇に原因があるのではなかろうか。師は、二コニコ笑って円満の人である。誰とでも気軽に接し、心よい挨拶を交わす。一般に、成功した中国人の特性といえるが、師の頭脳はどんな時でも回転している。アンテナは張りめぐらされ、計算機は回転し、私達の何十倍もの収入を得るよう組織化されている。見てよし、語ってよし、書かせてよし、オールマイティの才能がある。堅物かと思えば冗談ばかり言うし、鋭い言葉も他人を傷つけたりしない。そして、老人なのに誰よりも若い。

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