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子どもの心を育てるもの

2018年3月30日「金曜日」更新の日記

2018-03-30の日記のIMAGE
 子どもの心を育てるのは人間関係だけではない。 自然や鎮守の森や神社仏閣、歴史的街並みなども教育環境として考えるべきだろう。「スモール・イズ・ピューティフル(小さいことはよいことだ)」と言ったことで有名なシューマハは「教育の本質は価値の伝達である」とも書いている。しかし価値の伝達とは学校教育や家庭教育だけではない。 地域の中に結した自然や建物・街並みなどは、人々が長い時問を。 それに接することで子どもたちはいろいろなことを考えるチャンスを与えられる。 歴史環境は教育環境でもある。 それはまた、老人にとっての福祉環境である。 自然や歴史環境が保全されていることは、居住地の安定につながる。  最近全国各地で、たとえば小樽の運河や神戸の住吉川の景観が行政自身の手で壊されているが、これは景観や文化の破壊であるだけでなく、子どもにとっての教育環境の破壊であり、老人にとっての福祉環境の破壊であるといってよいだろう。  お母さんたちをはじめとする地域の住民たちがこれらの風景を守らねばならないと立ち上がっているのは、子どもの教育環境・人問環境を守ろうとする運動でもある。子どものすこやかな発達を願う者は、こういう破壊行為に断固として反対し、それを守らねばならない。  3の集団とは何か。人間は存在としては1人1人別であるが、集団の中で社会的生活をすることで心身が発逮していく。  エングルスは、猿が人間へと発達する過程で集団活動の果たした役割が大きいと指摘している。 つまり、自分たちより大きな獣を捕ったりするためには互いに協力し合わないとうまくいかない。 それが協力を生み、相談し力を合わせるために言葉を発達させたという。家の中にじっとしていると言葉も知恵も発達しない。 集団なくして発達なしである。  以上にみてきたことから、子どもの発達は、住居とそれを取り囲む環境条件によって大きく左右されることがわかる。遊びを中心とした活動も、教育も、集団活動も、親・兄弟・近隣の人たち、歴史的につくられた自然や街並みなどの環境の中で成立し、あるいはその契機となる。 現在の子どもの住まいと環境はそれにふさわしい状態になっているかどうか。 非常に大きな課題が横たわっているといわねばなるまい。

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