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劣悪な居住環境が精神病を招く

2018年3月16日「金曜日」更新の日記

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 建物の構造から起こるトラブルや病気も多い。 中・高層住宅の問題を中心にこのことを検討してみよう。  「ピアノ殺人事件」話題になったことがあったが、現在でも近隣居住者とのあいだでいちばんトラブルの原因になりやすいのが生活騒音である。 特に木造アパートや中・高層住宅でその例が多い。 よく挙げられるのが、便所・浴室・台所の給排水音、室内の足音、椅子を動かす音、玄関扉の開閉音などだ。  これらの騒音やそれへの苦情からくる精神的圧迫感は精神病の土壌ともなっている。 私は研究活動のために旅行することが多いが、最近のビジネスホテルには、圧迫感を覚えるほ ど狭いものがある。 べッド、机、クローゼッ卜、風呂、トイレが確かに合理的に配置されてはいるのだが、あまりにも狭苦しい。 窓は閉めきりで、開け放つことができない。 窓の外の景色がよければまだ救われるが、向かいの建物がすぐそこに立ちはだかっていたりすると最悪だ。 気分が滅入りはじめ、息苦しくなってくる始末。  有名なドストエフスキーの小説『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、強欲な金貸しの老婆を斧で1撃のもとに殺害したあと、恋人ソーニャに会う。 そこで彼は「低い天井や狭苦しい部屋は人間の心や頭を締めつけてしまう」と言っている。  小説の中のラスコーリニコフは自分のように優秀な人問は、貧困から脱出するためには、金貸しの老婆のような何の役にも立たない虫けらのような人問を殺して金を奪ってもかまわないんだという思想にたどりつき、いわば確信犯で殺人を行なうのだが、私のように住居が人間に与える影響をいつも考えている者からすれば、この犯行も彼の劣悪な居住環境が原因ではなかったかと考えてしまう。  これは誇張でもなんでもない。 住居や環境によって私たちの精神世界は支配されている。 住居が原因となった精神・神経疾患はたくさん起こっているのである。  Hさんは女性教師で共働き。 木造のアパートは音がつつぬけなのでマンションを買った。 ところが、買ったマンションもドアの開閉音、スイッチを切る音、話し声、テレビの音が響く。 上の階には受験生がいる。 自分のところの子どもが騷いだりテレビをつけるとドンッと床を鳴らす。 それでピアノの音をしぼり、テレビをつけることも、子どもが走ることも止めさせた。 ドアはそっと閉め、スイッチは音の出ないようにゆっくり切り、息をひそめて生活している。 こんなことなら大声で子どもを怒鳴りつけ、ドアをガシャーン、スイッチをパチーンと思いきりやれる前のアパ-トのほうがよかった、だがローンがあるので引っ越そうにも引っ越せないと、抑ウツ・不眠状態になって精神科へやってきた。  欠陥マンションの問題の多くは、このような建物の粗悪さからくる騒音問題で占められている。 共同住宅から一戸建てマイホームへと人々が夢をもつのも、生活騒音の問題と無関係ではないと思う。  騒音防止を配慮した、しっかりした構造の共同住宅を建設すると同時に、夜10時を過ぎたらなるべく給排水音をさせない、子どものいる家庭は1階に入居するなどの配慮が必要であろう。  さらに最近の特徴のひとつは、これらの症状が家を買った人々のあいだで深刻化していることである。 持ち家は私有財産であり、自分の城という意識が強い。 欠陥があっても借家であれば出たらすむことだが、持ち家の場合、簡単に出るわけにもいかない。 不良住宅をつかまされた、だまされたと思うと、腹が立って仕方ない。 それが嵩じて神経にくる。 そういう財産意識が精神病の悪化に根底で作用しており、その過敏性の度合いは、大きな投資、高い買い物をした人ほど深刻になっている。  むろん無理をしてやっと家を持ったところが不満いっぱいで精神病になる、というのはよほどの場合であろうという気もする。 多くの人は心の中で「しまった」と思いながらも、それを思うと腹が立ち自分が惨めになるから、なるべく考えないようにしている、というのが現状ではなか ろうか。 そういう我慢強さが一方ではまた、質の悪い住宅を氾濫させたり、悪質不動産屋をはびこらせたり、日本政府をして「みんな家を持って喜んでいるではないか。日本の住宅政策は国民の持ち家所有の要求に応えている世界最商の政策だ」などと言わせる原因になっているのだ。  借家であろうと持ち家であろうと、人間らしい住居に住める政治の行なわれることを、私たちはもっと主張しなければならない。

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