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住み慣れた家が何よりも重要

2018年3月9日「金曜日」更新の日記

2018-03-09の日記のIMAGE
 外国旅行をしてみれば、この「慣れ」がいかに大切かがよくわかる。ひとつの例は交通規則。日本では車は左側通行だが、他の国では右側通行が多い。日本人は無意識に右を見てから左を見るが車はそれとは逆にやってくる。それで交通事故を起こしやすい。街や地域に慣れていることで、私たちの安全が保たれている一例だ。だが。老人にとって、いや人間にとって大切なのは、住み慣れた街と隣人だけではない。住み慣れた家が必要なのである。もうだいぶ前から、家の中での事故・家庭内事故がふえている。階段から落ちたり、廊下ですべったり、つまずいて転んだりする。年間1万3000人前後が死亡し、130万人前後がケガをしている。この事故は子どもと老人に特に多い。老人の場合、家庭内事故が多いのは、転居したり、新しい家を買ったり、家を新築したりしてから1年以内が圧倒的なのである。老人には長い年月による生活習慣の蓄積があって、家がからだの一部のようになってしまっている。それは安全に住むために必要なことでもあるのだ。真っ暗な家の中でも方向感覚がしっかりしていて、手さぐりでスイッチをつけて階段を下りてトイレに行けるような、目をつぶっても生活できるような住居が生活の安全を支える。新しい家はそういう慣れを根こそぎ奪ってしまう。ドアやトイレの方向が追っていたり、思わぬところに段差があったりすると事故の原囚になる。新しい住まいにからだが慣れていないからだ。私たちの生活は、意外に無意識の動作によって成り立っている。玄関の上がり框の高さ。階段の高さと勾配、敷居のありか、ちょっとした段差、すべりやすいところなどを、長年の暮らしの中でからだが覚えてしまっているのだ。だから、慣れ親しんだ家にいるかぎり、あまりケガはしない。反対に、親戚や友人の家、引っ越し先の家、建て替えた新居などで家庭内事故の比率はぐっと高くなる。戦前、多くのサラリーマンは退職金を元手に家を新築したが、そのあとポックリ死ぬ人がたくさんいた。普訪のための疲れということもあったかもしれないが、年をとってから新しい家に住むということがいちばん大きな原因だったのではないかと私は思う。私の知っているある学者は、かなり高齢だが活発に研究活動を続けておられる。この人は必要上から東京・京都・神戸に家を持っているが、この3軒の家の寝室の構造が全部同じなのだ。つまり、方位、問取り、スイッチやドア、トイレの位置関係を同じにしてある。こうしておけば、夜中に目を覚ましてトイレへ行く場合でも、真っ暗な中でも何の不安もなく行動ができる。朝起きたときの光線の具合、部屋の雰囲気なども同じだから、毎日の生活に違和感がなく、安定した精神活動を行なうことができる。だれでもこんなことができるわけではないが、その意味するところは私たちが環境の変化を考える場合の参考になろう。住み慣れた家、住み慣れた地域の重要性を書いてきた。住み続けられる家であるためには、家族数に変化があっても住み続けられる余裕のある広さ、建物の頑丈さが必要だろう。住み慣れた地域であるためには、急激な開発などのない安定した環境でなくてはならない。また老人になってからも住み続けるためには、住宅がはじめからそうなっていないといけない。スウェーデンでは、住宅を建てるに際しては最初から車椅子が使用できるようにしておくか、もしくは簡単に改造できるような構造になっていなければ許可されない。現在の日木にある住宅の大部分は老人や障害者には使いにくい。現存する住宅の大部分は将来使いものにならなくなるのではないか、と私は考えている。不動産屋や引っ越しサービスばかりが儲かるような「引っ越しフィーバー」はもうやめて、いかにすれば同じ家と居住地に長く住み続けられるかを日本人も真剣に考えなくてはならない時期にきている。

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