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子どもの心のふるさとを奪う

2018年3月7日「水曜日」更新の日記

2018-03-07の日記のIMAGE
 学校で子どもがいじめられるので、教師が転校を勧め、そのことの是非が最近問題になった。このように、いじめられるから転校する、いじめから逃げるというケースもあるが、転校してきたからいじめられるというケースは昔から圧倒的に多い。私も小学校5年のとき転校していじめられた経験がある。だが、一般的にいえば転校は子どもから友だちを奪う。友だちというのはそう簡単にできるものではない。それから切り離される。その淋しさに耐えかねて自殺した女子中学生もいる。男の子は自分の住んでいる家を根拠地にして地域を探険するのが好きである。小さい頃、野原や川やお寺や神社で遊んだ記憶をもつ人は多いだろう。どこかにだれも知らない秘密の隠れ場所があって、ごく親しい友だちにだけこっそり教えて自慢したこともあるのではないか。そういう遊びが子どもの世界をつくり、心を育てる。引っ越しはそういう地域を奪ってしまう。そのことが目に見えないかたちで子どもに大きな負担を与えることになる。転校は子どもから慣れ親しんだ心のふるさとを奪ってしまう。特に団地に住む子どもたちに転校が多い。家が狭いために、家族がふえ子どもが大きくなって我慢できなくなり引っ越していくわけだ。現在のような狭い団地では、狭さに耐えながら住んでいたり、将来自分の家を持つための一時的な住まいにしているという場合が多いからだ。そういう状態では、団地は子どものふるさとにはなりえない。最近の親は、はじめは小さな家に住んで家族がふえれば大きな家に移ればよいと考えている人が多いのではないか。不動産屋の宣伝にのせられていることもあろう。むろんはじめから子ども部屋のあるような家に住めないということもあるが、家を単なるネグラ、あるいは不動産と考えるところから、家の買い替え、住み替えということが簡単に発想され、また実行されるのではないか。転居や転校が子どもに与えるダメージの大きさをもっと配慮しなくてはならない。気に入らなかったら住み替えたらよい、買い替えたらよいという考え方は間違っている。なるべくなら家を修理したり改造をしたり増築したりしながら、同じ家に、やむをえず転居する場合でもなるべくなら同じ地域に、住み続けることを考えてほしいと思う。同じ地域内であれば、家は変わっても転校はしなくてすむ。そういう意味では、団地の中にいろいろな大きさの住宅があって、家族の発達の段階に応じて住み替えられるというシステムをもっと考えるべきだろう。

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